「他人からどう思われるか」が全ての判断基準になってしまった訳

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一昨日のブログ「仕事は自己実現の道具ではない」にも書いたけれども、どうして私は「他人からどう思われるか」が全ての判断基準になってしまうのか考えてみた。

rainyajisai.hatenablog.com


私はいつから、こんなにも人目や周りからの評価を機にするようになってしまったのだろう。
過去の記憶をずっと遡ってみたところ、ある一つのエピソードに辿り着いた。

小学校高学年の時、こんなことがあった。
その当時、担任の先生が「クラスの中で好きな人、嫌いな人調査」を定期的に実施していたのだ。
今思えば、クラスの中の人間関係を知るための調査だとわかるのだが、当時はそんな意味も知る由もなく、「なぜこんな誰にも知られたくないことを先生に伝えなければならないのだろう」と、この調査が苦痛でならなかった。
だからと言って調査に嘘を書いたり、白紙で提出するような勇気も反抗心もなく、いつも正直に答えていた。

そんなある日の放課後。
どのような場面だったのかは思い出せないのだけれど、偶然、あるクラスメイトの調査用紙を目にしてしまったのだ。
すると、「嫌いな人」のところに、私の名前が書かれてるではないか。
特に仲が悪い子ではなかったし、嫌われるようなことをした覚えはなかったのでとても驚き、ショックを受けたたことを覚えている。
さらに、嫌いな理由は「おとなしいから」と書かれていたのである。

確かに当時の私は人見知りで、消極的。
友達も少なく、自分の考えや意見を言うことはほとんどなかった。
その反面、勉強はよく出来てとても真面目だったので、学級委員に選ばれたり、先生からはとても可愛がられていた記憶がある。
そんな優等生的なところも、そのクラスメイトにとっては、気に障ったのかもしれない。

確かに、今思えば、私はいい子ぶっていたのかもしれない。
嫌われるのが怖くて、嫌なものも嫌と言えず、自分の気持ちをごまかして、人の顔色を見て行動するような子供だったのだろうと思う。

しかし、私は、たった一人でも「自分を嫌っている人がいる」という事実に打ちのめされてしまったのだ。
そして、これ以上誰からも嫌われたくない、という思いが強くなり、人からどう思われるかということを、異常に気にするようになってしまったような気がしている。

そんな何十年も昔の出来事もきっかけのひとつになっているのだなと思った。

でも、今ならわかる。
「人に嫌われない」=「人に好かれる」ではないということ。

人の顔色や言動を必要以上に気にし、人とぶつかることを避けながら生きてきてしまった私は、当たり障りない人間関係しか築いてこれなかったのだ。

いい加減、過去ばかり振り返り、囚われていても何も変わらないし、同じことの繰り返しで人生が終わってしまう。

もう、人からどう思われるのかを気にするのはやめにしよう。
なんとなく違和感を感じる人とは、少し距離をおいてみよう。
相手の都合を聞いて合わせるのではなくて、まず自分の都合を相手に伝えよう。
無理だと思ったら断ろう。
必要以上に好かれようと思ったり、いい人と思われたいという気持ちを捨てよう。

いつまでも理想の自分を追い求めるのではなく、今の自分自身を認めて、そこからスタートするしかないよね。
とになく、小さなことかもしれないけれど、少しずつ毎日の行動、考え方を変えていこう。

自分の気持ちを大切にしよう。

自分自身のことも、大好きな友達の一人として、大切にしよう。